2014年9月1日月曜日
ココナッツ(阿波パフォーマンスドールの3人)のアルバム曲<キラーストリートで>の歌をつくった方を発見?
昔なにかのライブで、ココナッツという3人組のCDを買いました。
ご本人たちから買ったのかもしれませんが、覚えていません。
中に『キラーストリートで』という、ミドルなオジサンとデートする、見方によっては当時出たての援助交際みたいな歌がありました。
ココナッツは、徳島のご当地アイドルグループ(という表現は当時ないが)「阿波パフォーマンスドール」のうちの3人だけのユニットです。
言わずもがなですが、阿波パフォーマンスドールというのは東京パフォーマンスドールのご当地版ということであります。今でいうAKB48に対するHSK48(プノンペン補習授業校ご当地アイドルグループ)みたいなものです。
徳島なのになぜ東京青山の歌…?
はつらつとした印象のジャケ写なのになぜにオジサマLOVEの歌…?
加えて、終止するようなしないような不思議な雰囲気の曲調。
ものすごく僕のなかで印象に残っていました。
たぶん、誰かの曲のカバーなんじゃないかな? と思っていましたが、ずっとわかりませんでした。
きょう、この石橋和子さんという方がこの歌をうたっている映像を見つけました。
ググったら徳島で、ココナッツスタジオで創作活動などされているそうです。
ということは、この方がこの歌を作られた方かもしれません。
たぶんそうでしょう!
石橋さんは割と力強く歌っていますが、ココナッツ版は、もっといかにも高校生の女の子という感じのフニャフニャな歌い方です。
ココナッツ版はネット上で探しましたが、残念ながら見つかりませんでした。
手元のCDからアップする勇気はないので、機会があれば聴いてみてください。
最高の人材を採用しないための10の方法
という記事を読みました。
・経験とスキルを重視する
・印象で決める
・自分とわかりあえるタイプを採用する
・求人広告を出す
・求める人材の欄に「前向き」「チームワークを尊重」など手にアカのついた表現を記載
・投票で決める
・採用しない理由が、人事部の単なるリスク回避でないか、厳しく吟味しない
・人事部を、採用した人材のその後の実績に応じて評価しない
などが挙げられており、僕がおかした過ちも含まれており、うなずけることばかりです。
マイクロマネージすればカネは社外にたまる マクロマネージすればカネは社内にたまる
結果としていえることは、カネの無駄遣いをなくそうとマイクロマネージメントを励行したばかりに、かえってカネが外へ流出していく現象であります。
部門にドーンとカネを与えて、目標と制約条件を与えて、好きなようにやりなさい、ただし結果はしっかり見るよ、というマクロマネージメントのほうが、がんばって値切りもするし、書類ワークやら証憑やらの非本質的なことに事業のマンパワーのかなりのパーセンテージが割かれるという巨大な無駄を省くこともできるとおもわれます。
それがたとえばアメーバ経営の考え方でもあるとおもいます。
当社ではまだ、事業の複雑さも顧客の数も全然たいしたことがないので、アメーバ経営のおままごとみたいな制度しか導入していませんが、ゆくゆくは、本当のアメーバ経営へと移行していきたい考えです。
これにより、値引きで節約できたカネはもちろん、リーダーシップといった価値も、社内にたまっていくことでしょう。
現在、当社では、遅刻については、何分遅刻したかに比例して給与から控除しています。
これは、残業について、何分残業したかに比例して割増賃金を払っていることと呼応しています。
しかし、本来こういう、時間的なマネージメントについても、このようなマイクロマネージメントは、社員にとっても、経営側にとっても、生産性に前向きに結びつかず、無駄です。
社員を学生扱いしていることでもあります。
が、今どき学生ですら、自分でインターネットで勉強しようという世の中へ移行しようとしている現代です。
社員についても、自主責任制をもっと、今後強化していきたいと考えております。そうすれば、出勤時刻や勤務形態についても、最も生産性のあがる方法でやればよい、ということになっていくでしょう。
最近米国の生産性に関するサイトを見ていると、働く時間と場所をマイクロマネージすることは、優秀な社員を会社から遠ざけるための最もベストな方法である、的な記事が多数出てきます。
そのようなトレンドは、世界にも広がりつつあるとおもいますし、今後もっと広がってくるとおもいますので、早急にアダプトする必要があると感じます。
しかし現状、そのような体制やしくみが会社としてできていないうちは、20世紀型の工場やオフィスのように、タイムカードで社員を管理する方式にならざるをえませんし、それをやる以上は、もれなく徹底してやらなければ、かえって不公平を招いて、社員の納得感を損なうのはもちろんのことです。
以前、僕が技能を教えるために赴任した会社で目にしたのは、朝誰よりはやく出社してきた社員が、全員のタイムカードをガッチャンガッチャン押している驚くべき光景でした。
冒頭でも書いたように、マイクロマネージメントではえてしてこういうことになりがちです。
社員は抜け道を探すことにのみ汲々とします。
生産性をあげるという本質はおろそかにされます。
公務員のような人間になってしまいます。
が、マイクロマネージメントをやる以上、そういうことを見逃していては、納得感は得られませんので、カビのはえた旧式の制度であるとはいえ、その制度を次善の策として採用しているうちは、それが正しく文言どおりに励行されるよう、正直者が馬鹿をみないよう、どこまでも性悪説で臨む必要があります。
いい大学を出ただけのおぼっちゃまにはできないことです。
shikata ga naiからyatte yaruzeへ 禁酒禁xx一ヶ月達成
途中、日本から先生がいらして一緒に夜に食事に行っても、
「すみません、いまこれこれこういうわけで禁酒中なのです」
と言わないといけないのがちょっとだけ意志の力を要しましたが、基本的に、何かを1ヶ月やりつづけるのではなく、単に何かを1ヶ月やらないというだけの挑戦でしたので、考えてみるとそんなに大したことではなかったかもしれません。
しかし、どんなに小さな達成であっても、僕らはそれを自分に対し賞揚してやらねばなりません。なぜならあまりに多くのひとが、あまりに多くの機会において
「仕方がない」
と環境のせいにして動かない安逸にとどまるからです。
shikata ga nai
という日本語は英語圏でも知られているようで、英語圏の掲示板などにときどき登場します。
これは、我々日本人がこれまであまりに多くの機会に
shikata ga nai
と言って挑戦を回避してきたさまを世界から目撃されつづけてきたことを意味することにほかならないとおもいます。
このような不名誉を返上し、某声優さんの歌のように、力強く
YATTE YARUZE!
と言う日本人でありたいと願っています。
そのような日本人が増えれば、いつしか世界で
shikata ga nai
という不名誉な日本語は忘れられ、
yatte yaruze!
という日本語へ置き換えられるのではないでしょうか。
2014年8月31日日曜日
優秀な経営者は1日あたり1時間45分しか個人的業務タスクに割かない
などの調査結果を読みました。
残りの業務時間は、経営をしているのです。
むろん多くのひとにきいた結果の平均値ですので、会社の業務の性質によって多い少ないはあるとおもいます。
しかし、この個人的業務時間が長い社長は、よく言えばより職人的、悪く言えば会社にしてる意味ない度合いが高いともいえます。
僕も油断するとついそれが長くなりがちですので、この記事を見てさっそく、それを是正する措置をひとつ講じたところです。
僕が2001~2005年にカンボジアでパソコンなんでも屋をやっていた頃、雇った社員が6人いましたが、僕は、業務時間のほぼ100%、個人的業務タスクをこなしていました。経営に割いていた時間はほぼゼロでした。
こういうのは経営でもなんでもなく、職人の下に助手がついてるというのが本質です。
それが悪いというつもりは全くありません。
ただ、2004年の暮れのある日、
「このビジネスモデルはスケールしない!」(当時はこんな気のきいた言い回しを知りませんが)
と突如心のそこから悟ってしまった僕。
いまのカンボジア大六を構築するにあたっては、そのときの反省をすごく活かしましたし、いまも日々、さらに活かすようにしています。
2014年8月30日土曜日
AEONをイオンと呼ぶカンボジア人にまだ会ったことがない
カンボジア初のAEONができて間もないが、これまで会ったカンボジア人はひとしく
「エーオーン」
と呼んでいる(AEONのなかのひとを除く)。
このまま「エーオーン」が定着してしまうのだろうか。
オープンの際のチラシには、ずいぶん何度も、クメール文字で
「イーオーン」
と表記してあるのに…。
Illustrator CS3では、クメール文字のO子音化記号は上付母音記号とかぶる際には原則下付グリフ化するという法則が、油断すると正しくレンダリングされず、片っ端から直したものだ。
あの苦労は無駄であったのでしょうか…
エオンじゃないのよイオンは
ハッハァ~♪
意味もなく笑う古代大東アジア文化圏を日本人より色濃く受け継いでいるクメール人
クメール人は、顔をあわすと、意味もなく笑う。
意味なく笑うと欧米人から言われる日本人の僕が言うのもなんだが。
日本人の僕から見てすら、クメール人は意味なく笑うと感じるのだ。
欧米人から見た、クメール人の意味ない笑い度は、さぞや印象が強烈だろうとおもう。
日本人は会うとニコッと笑う。それが挨拶がわりである。
クメール人もニコッと笑うのだが、それに加えかなりの比率で
「フフッ」
という笑い声が伴う。
日本人は、あいさつでほほえみかけるときに、笑い声まで出すことは普通ないとおもうのだがいかがだろうか。
日本人といえども、笑い声を出すのは、なにかおかしみを感じたときに限られるのではないだろうか。
なので日本人ですら、クメール人に会うと
「なにがおかしいのだろう…?」
と最初感じてしまったりするのだ。
欧米人はきっともっとそれを感じるのではないだろうか。
思うに、東南アジアから東アジアにかけての一帯には、かつて古代大東アジア文化圏とでも呼ぶべきものがあったというのが僕の仮説で、クメール人と日本人の気質の相似や、クメール語と日本語の言葉の組み立て方の相似に、その名残が現れているとおもっているのだが、挨拶がわりに笑うというのも、その文化の名残のひとつではないかとおもう。
この古代文化圏のある一点に突然変異的に出現したのが中華文明で、それはどんどん拡大し、今や古代大東アジア文化圏の名残は、日本やカンボジアなどの周縁にしか残っていない、というのが僕の説だ。
中華文明のひとは、会っても笑わない。
文化の違いであり、どっちがいいとか悪いとかではない。
しかし日本とカンボジアは、微笑みの国どうし、とても仲良くやれる気が勝手にしている。
タイも微笑みの国と言われるが、最近は微笑みが少ないという噂もあるが、どうなのだろうか。たまに行くだけで、住んだことがないのでわからないが…。