2014年6月24日火曜日

サムソンのバグでAndroidアプリが変な動作

RescueTimeのAndroidアプリがSamsung製Androidスマホでおかしな動作をする件について。
なかなか激しい口調でSamsung社を罵っておられます。
サムソンがバージョンアップしてもしてもバグが手を変え品を変え残りつづけるのだそうです。
http://blog.rescuetime.com/2014/04/11/our-android-app-and-samsungs-repeatedly-regressing-bugs-in-accessibility-services/

あまりに貧相なギャンブル課税を改め、がっつり取れる法体系導入へ

インドシナのギャンブル大国カンボジアにおけるカジノやオンラインカジノに対する課税は現状あまりに少なく、かつ卓数や入場者数など首をかしげざるをえない原始的な基準に基づいていますが、カンボジア政府はこれをより体系化し、がっつり徴税できるようにするとともに、より大きなギャンブル会社の参入を促す方向であると発表しました。
識者は、現状州レベルなどの認可でなあなあで操業されているカンボジアのカジノは暴力団の資金源の温床にもなっているとして、政府による早期の規制強化を求めています。
プノンペン半径320キロメートル圏内で40年間の独占ギャンブル操業権を認可されているナーガの昨年の売上は3億4490万ドル、これに対し納税額はわずか510万ドルであったということです。
http://www.phnompenhpost.com/business/gambling-change

頭の良さとは問いを生み出す能力である

知恵とは問うことなり、とはソクラテスあたりがすでにとっくの昔に言ってそうな気もするが、Google先生が僕らによりそっている21世紀の今においては、ますます、微分の解き方や世界の首都、外国語能力、PHPの書き方などといったコモディティ知識は何の価値をも生まなくなっていることは、つとに指摘されているとおりだ。

コンピュータが束になってかかってもできないこと、人間にしかできないこと、それは研ぎ澄まされた問いを発することである。

研ぎ澄まされた問いは時に、正味数十分の思索や調べものを経ている。研ぎ澄まされたその問いに到達しさえすれば、あとは答えを知るだけで、それは知的生産の成果となる。そして答えを知ることは、問いさえ確定すれば…指先ひとつでGoogleだ。

もちろん、たまにはGoogleでなく人間に聞いたほうがいい問いもある。
人間の問題は、研ぎ澄まされた質問をすると、かなりの率で
「へ?なんでそんなこときくの?」
「タイ?」(粂語の場合)
などと逆質問をされる件である。
もちろんこんな逆質問にまともに答えていては時間がいくらあっても足りないし、相手もそこまでこちらのために時間を割いてくれる気などさらさらないだろうから、
ちょっと市場まで~
とか
ばっ!べっ!べつにあんたと会話のきっかけつくりたくてテキトーな質問してるとかじゃないんだからね///
とでも答えておけばよいだろう。

ちまたの多くのエリート要請コースや経営者要請コースには、Googleの使い方という科目はないかもしれないが、本来これは公立小学校で指導要領に基づきみっちり教え込むべき必修単元になっていると考える。でなければデジタルデバイドは拡大する一途だろう。

がっつりDTPとがっかりDTP

DTPにも体裁的にさまざまなレベルの案件があり、カンボジアの当社でも昨今はWordに毛が生えたようなコンテントドリブンなものから、ギッシリ組まれたガチガチレイアウトドリブンなものまでやっておりますが、もちろん前者も奥が深いのですが、後者は後者で人力であれこれ解決しないといけない部分が大きいのでカンボジアに向いておるわけです。

ただし人力といっても、単純作業の部分と、デザインとかのスキルが必要な人力とに大別することができ、後者は日本人相手なら日本人の好みというものもあって、カンボジアのマンパワーで単純に解決はできないわけです(その意味では、中国でもさんさん苦労話を聞いた)。

がっつりDTP、うっかりするとがっかりDTP

一字違いで大違い…。

私個人の専門は、こういうレイアウトドリブンなDTP案件の中に必ず存在するコンテントドリブンな部分(スペックとかコマとか呼ばれる所)をいかに自動化して速度と正確さと可用性と再利用性と可搬性を担保するかという提案と開発にあるので、デザインとかは私にとってもギブンなのです。

開発部分を除いた本作業部分を簡単なフロー図にするとこういうことです。

基本デザイン→(1) 自動組版→(2) スペック以外及びイレギュラー対応のDTP(人海戦術)→(3) デザイン的手直し

基本デザインは基本お客様から支給ですので、こちらでやることはありませんので、(1)と(2)と(3)の三種の神器がひとつになれば最強の組版チームが組成されるのだ。

いかにこの3つを揃えるかは、中国でも皆さん苦労されてる部分でした。というかそもそも(1)を含めようという発想がオフショア現場の場合はなかなかないかもしれません。私は逆にもともと日本にいて(1)側からオフショア現場との連携を図ってきた立場ですので、(1)と(2)を一緒にしたいというのがカンボジア大六創業の動機となっているわけです。

なぜなら、人力のみに頼っていたのでは、上述の速度と正確さと可用性と再利用性と可搬性を担保できないからです。

DTPでGitは使えるんでしょうか

デザイナーのための…と銘打って冒頭いきなり「コマンドなどは出てきません」でクスッとなった。
デザイナーがコマンドできちゃいかんのかw
http://www.slideshare.net/dsuket/git-16343460

まあもし立場逆で「プログラマーのためのデザインtips」とかのスライドだったら、冒頭「補色の話とか出てきません」とか書いてくれてたらかなり安心するので、もちろんこの1行の意義を理解はできる。

じゃあなんでクスッとなるか、自分の中を掘ってみると、たぶんこれは僕が、昔若かりし頃は
「プログラマーなのにデザインもできたらカッケー」
「勉強できるのに絵もうまかったらカッケー」
というのに憧れており、かつ頑張れば僕にもそれが実現可能という幻想を抱いていたが、今は現実を認識し、天才ならぬ身にはそれは無理ということを受け入れつつあるからじゃないかなとおもいますた。

同類相憐れむってこういう時使うってことで間違ってないですか?

なお、「オレオレバージョン管理!」でさらにクスクスッとなった。
この「!」の勢い!
まさに俺!

同類相憐れむってこういう時使うってことで間違ってないですか?

DTP(バイナリ)でGitは使えるんでしょうか?
という僕の素朴な疑問に答えてくれるスライド…かと思ったらそうでもなかった。
使えないことはないけど、ちょっと工夫がいりそうだよね、ということでしょうか。


追記
これの後半で言ってらっしゃることがたぶん僕の知りたいことにかなり肉薄しているんだろうけど、
http://japan.blogs.atlassian.com/2014/05/handle-big-repositories-git/
理解できない\(^o^)/
もっと勉強しないと/(^o^)\

追記
http://git-scm.com/book/ja/Git-%E3%81%AE%E3%82%AB%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%82%BA-Git-%E3%81%AE%E5%B1%9E%E6%80%A7
これのPNG画像のメタデータについて言っている箇所がかなりドンピシャリっぽい。
.epsだったらASCII85エンコーディングの場合はいけるのかな。
問題は.inddや.psdのフィルタはあるんでしょうかってことですが…、さらに要調査。

追記
http://en.wikipedia.org/wiki/ExifTool
Exifツールって言いながら.inddのXMPも読み取れちゃうのか。.psdとかもOK。.aiもOK。

追記10:53
あっちゃこっちゃさまよった結果、
http://blog.wktk.co.jp/archives/293
このひとが

画像ファイルなど、巨大かつ大量なバイナリファイルの管理はどうするか。

のセクションで言っていることが俺を最も深くうなずかせ納得させた。かつ、このセクションの内容ぐらいなら100%意味がわかる程度にはこの半日で学習が進んだでござるよ。

学歴で最も重要なのは最初の学歴である

別に幼児教育産業の回し者ではないのですが、人の成長において最も効果を生み出すものは学習そのものというより、学習に対する姿勢と取り組み方であるとおもう。これは「おもう」というより、厳然たる現実だとおもいますが。

「学習って大事だよね」
「学習って報われるよね」
「学習ってこうやると早いよね」
「学習する俺様カッケー」

こういう心的枠組みと学習スキルがアプリオリなものとして身につくか付かないか、その決定的な分かれ道となるのが、そのひとの一番最初の学歴であるとおもう。
幼稚園行ったひとなら幼稚園、行ってないひとなら小学校がそれということになる。

僕がブログの自己紹介欄の学歴に幼稚園から記しているのもその考え方からだ。

自分を振り返っても、またうちの子供らを見ていても、最初に通った幼稚園における動機づけや報奨付与が与える影響は多大であると感じます。その面で大学とかはそれに5%程度を付加するにすぎない。それは当然のことで、学習に対する姿勢と取り組みができている人だけを受け入れる前提となっているのが本来、高等教育であるべきだからだ。

近所のカンボジア人の子供らは、これができてないひとが実に多い。
それはもちろん本人のせいというより、親のせいなのである。
以下は学歴でなく家庭環境の話になってしまうが、親がそもそも、学習って大事だとおもってない。
家の中のゴミでも拾わすほうが大事だとおもっている。
それももちろん大事だが、学習のほうが大事、と考える家庭にしか、学習で明るい未来を開くことのできる知的生命体は生まれてこない。

妻は幸いにしてそのような考え方の親族の中にあって育ったため、カンボジアにおいて育った時代が不幸だったことから学はないけれども、学習は大事だという考え方は堅持しているのが僕とウマの合う点だ。

ホールフーズとスクラムつらつら

開発手法として昨今話題のスクラムというのは、経営手法としておおむね『経営の未来』で紹介されたホールフーズのチーム制と同様だと感じる。

カンボジア大六を創業して最初の2ヶ月はしくみの設計に専念したが、その際に資料として読み込んだ本の一つがこれで、ホールフーズのチーム制は当社にかなり色濃く影響している。人数少なくというのもそうだし、スクラムでいうサーバントリーダーシップについてもそうである。

当時、AKB48もチーム制を採用しており、なんとなく「チーム」というのが自分の中でトレンドであったということもある。AKB48のチーム制も、かなりサーバントリーダーシップに近い(ように演出している)。もっとも、AKB48のチームはかなり大人数である。

チームが小さいということはナレッジプール・スキルプールが浅いということでもあり、それは個々の社員を燃えさせるには良いのだが、当然ナレッジ/スキルが足りないということが起きうる。それを補うためにホールフーズでは、チームどうしがベストプラクティスを学び合う機会を豊富に設けていると書かれており、当社でもマスター認定制度を設けてマスター間の情報共有は密に行う雰囲気づくりを心がけてきた。

ただ、雰囲気しか作ってこなかったので、今後会社が大きくなっていけば、もうすこし制度化していくほうがいいのか、それともあくまで会社としては場だけ与えるほうが広義のサーバントリーダーシップとして有効に働くのか?

ホールフーズにしてもスクラムにしても、その要諦が「指揮系統がない」ことだとするならば、大切になってくるのは人徳のあるメンバーが情熱を持ってチームを引っ張ったり改善させたりすることである。これを上から任命するか自然発生を待つかは判断や好みの分かれるところだとおもうが、僕が人を見る目がなく、かつカンボジアにおいてガイジンだということもあって、自然発生にまかせている。

ただ、チームを引っ張る者(スクラムでいうプロダクトオーナー)は自然発生しやすいのだが、チームの改善を促す者(スクラムでいうスクラムマスター)の自然発生を見たことがない。後者は任命しないといけないのかもしれないですね。

外相訪カン イオン開業式にも

岸田文雄外相が29日から7月1日までカンボジアを公式訪問するそうです。
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2014062300833