2014年9月28日日曜日

XmlLite:軽量なXMLパーサ

くっ!
くるっ!
ドムが!!

ということでXMLいじるにはDOMかSAXというのが僕らオヤジの定番です。

しかし昨今は、軽量なXmlLiteというものがあるらしいです。

それについての記事があったのでちょっと読んでみました。

カンボジア、公共の場所での喫煙が禁止に

フン=セン首相が禁煙したという記事です。

あれっ、このひと以前も禁煙していたような…。
僕の記憶違いでしょうか。

まぁ、禁煙は身体にいいので、何度してもいいものですねw

ちなみにカンボジアでは2月から、公共の場所での喫煙が禁止になっていたそうです。

もともとカンボジアはタバコ吸うひとすくないので、気づきませんでした ^^;;;

ロッテセンターハノイで65階からエレベーター落下

という記事です。

幸い、墜落には至らず停止したため、乗っていた人々の命に別状はありませんでしたが、40分近く閉じ込められたとのことです。

ベトナム語記事ですので、以下、概略翻訳します。

事件概要


25日20時45分、5人が67階から乗りました。
エレベーターは下降を始めました。
65階まで降りたところで、エレベーターが突然自由落下を開始。

幸い、エレベーターは33階で停止したとのことです。

そして、エレベーターのドアが開いたとき、2人が乗り込もうとしました。
しかしそこにエレベーターの床がなかったため、墜落
1人が肩に負傷、もう1人が手に負傷したとのことです。

その後、エレベーターのドアは開かなくなり、上下へ移動もしなくなりました。
中の人々がボタンをいくら押しても反応がなかったということです。
7人はエレベーター内に閉じ込められてしまいました。

中の人々は非常用ボタンで助けを求めました。
音声が通じ、相手はすぐに救出すると答えたということです。
しかし、助けはまったく来ませんでした。

中の人々は113へも電話を試みました。
が、通じなかったということです。

中の人々は、けが人もおり、パニック状態となって、声をかぎりに叫んで助けを求めたということです。
外にいた人々がこれを聞きつけ、なんとか助け出そうとしましたが、うまくいきませんでした。

ロッテセンターの代表であり外国人であるTung女史は、ひとこと「シンローイ」と言って立ち去ったということです。

本当は恐ろしい途上国のエレベーター


発展途上国でのエレベーターとはこういうものです。
僕もカンボジアなどでなるべく、エレベーターには乗りたくないとおもっています。

以前は当社も、エレベーターのあるビルに入居していました。
僕も社員も、エレベーターで通勤していました。

が、やはりときたま、エレベーターが不審な動きをするときがありました。
妙に遅くなって、次の階へ行くまでに20秒ぐらいかかったり…。
階に止まったのにドアが開くまでに変な間が10秒ぐらいあったり…。

そんなときは、言い知れぬ恐怖を味わったものです。

BitTorrentなら手数料1割でコンテンツ販売できる

BitTorrent社のBitTorrent Bundleのpaygate機能というコンテンツ販売サービスでアルバムを売ってみたという記事です。

手数料1割で自作コンテンツを世界じゅうへ販売できるそうです。

iTunesですと3~4割かかりますのでだいぶお得感がありますね。

BitTorrentは中央サーバを持つコストがかからないので安く済むのでしょう。

本当に、こういう意味でも、これからはP2Pの時代ですね。

自作シェアウェアなんかもこのルートで売ってみたいものです。

またコンテンツにかぎらず、それ以外の商品についても、受け渡しの鍵となる情報などを金銭と引き換えに受け渡しすることができるかもしれません。

漫画やネットアクセスを子供に制限する合理的理由がどうしても見つけられない。自分は親失格なのでしょうか。

子供の頃、たしか小学5年生ぐらいのことだったとおもうが、
「漫画とどのようにつきあうか」
というテーマで、学校の国語の時間に作文を書かされたことがある。

僕はひねくれた子供だった。
答えのある問題が嫌いだった。
とくに、答えなんか本当はないくせに、あるふりをする科目、すなわち国語が大嫌いだった。
正確にいえば、国語そのものじゃなく、国語に倫理をこっそり混ぜ込もうとする態度が嫌いだった。

よってその作文のときも、求められていると感じた答えにそって
「漫画は良くないと思います。だから、これからは、なるべく読まないようにしようと思います。」
などという作文は絶対に書きたくないと思った。

それで、あえて
「漫画は悪くないと思います。ちゃんと自分の頭で考えて、良い漫画を読めば良いと思います。」
と書いたら、担任の先生が最優秀賞をくれたのには驚いた。

わけがわからなかったよ…。

後から知ったことだが、その当時、漫画は有害だという風潮がものすごくあったらしい。
先生としても内心、そう単純なものでもないだろう、というお考えがあったのかもしれない。
しかし文部省指導要領にある以上、先生としてはそれに従って授業を進めねばならなかったのだろう。

いま自分の子供が未来少年コナンとか名探偵コナンとかを嬉々として楽しんでいる。
未来少年コナンの全26話の全セリフを彼はほとんど諳んじている。
名探偵コナンについては残念ながら補習校に以前某君が寄付したセットが欠けてしまっており、全巻とはいかない。
しかし巻がある分については時間の問題ではないかという気がする。

ストーリーテリングの妙。
子供の心をつかむには、大人のそれをつかむ以上に、それが何より大切だ。
長期連載となって単行本の巻数を重ねるというのは、それ自体が、おおぜいの子供の心をつかむ激しい競争を勝ち抜いたことを意味している。

この点において、売れた漫画の単行本というのはすでに、多くの児童書を凌駕しているといえるだろう。

子供にとって、夢中になるということは何より大事なことだ。
いや、大人にとっても大事だと僕は思うが、とりわけ理屈抜きに夢中になれることは子供の特権である。
それを子供の教育に活かさない手はないとおもうのだが、どうだろうか。

子供を夢中にさせるコンテンツは、良いコンテンツである。
まず、このことを前提として、以下の話を進めたい。

児童書と有名漫画の大きな違いは、もう一つある。
それは言うまでもなく、漫画は絵や漫画的記号が豊富であり、かつ、有名漫画であればたいてい、その絵や漫画的記号の描き方は、状況描写を極めて正確に含んでいるということだ。
これによって、読み手は、文字からだけでなく、視覚的にも、情報を豊富に取り入れることができる。

児童書擁護派の大人が、逆に、それをこそ、漫画の悪い点なのだと言うのを見たことがある。
絵から安易に情報を読み取ってしまうことに慣れてしまうと、文字を読み取る能力を磨く機会が奪われるというのだ。

果たしてそうであろうか。

大人たちの世界では、今、インフォグラフィックというものが流行している。
非常に高く評価されているといえるとおもう。
いっときの流行では終わらずに、定着する気配を見せている。

これなども、児童書擁護派に言わせれば、悪なのであろうか。

従来も、インフォグラフィックとまで言わず、もっと原始的な、グラフというものがあった。
小学校の算数の時間には、いろいろなグラフの描き方と、その使い分け方を教わったものである。
これなども、児童書擁護派に言わせれば、悪なのであろうか。
算数の授業から撤廃されるべき単元なのであろうか。

言葉を覚えていく途上にある子供にとって、それを視覚的状況とともに、かつ、それが読み手の脳内にビビッドに生起させる聴覚的・嗅覚的・味覚的・触覚的状況とともに、読み取れるということは、言葉の語彙のみならず、それが使用されるべき適切なTPOを学習するうえにおいて、多大な助けになっているというのが僕の持論である。

ソースは僕の息子たちである。

はっきり言って、文字だけの本からは、ほとんど情報が得られないと言っていい。
なぜならば、そこに含まれている単語の意味を知らなければ、子供にとっては、その文を解することは、ほとんどお手上げとなってしまうからである。
自分が英文を読む場合のことを考えたらいい。
知らない単語が1個ぐらいであればなんとかなる。
知らない単語が1文あたり2個も3個もあったら、その文の意味をとることはかなり厳しくなってくる。

子供にとっても同じことだ。

そんなとき、文を読んでいるのではなく、会話しているのだったら、どうだろうか。
その場合には、相手の身振りや表情といった助けがある。
また、会話をしている状況という豊富な情報源がある。
それらを巨大な補助として、僕らは、わからない単語がかなり含まれてしまっていたとしても、かなりの程度まで、相手の言っていることを理解することができてしまったりする。
ソースは俺。

皆さんにもそういう体験はけっこうあるのではなかろうか。

子供にとって、何より大切なのは、経験である。
しかし、子供を一人で世界旅行へ送り出すことはなかなか難しい。
親だって忙しいので、子供と一緒に世界旅行へ行ってやれる親は、なかなかいない。
あるいは、虫の世界を旅したり、宇宙を旅したり、海底二万リーグを旅したりすることは、現代の科学技術水準では、まだかなり難しい。
だから、そうした環境で、そういう世界の人々と会話する体験も、本当に得ることは、困難である。

そこで、本があるのだ。
この点は、児童書派の方も、大いに同意してくださる点だろうとおもう。

子供たちは本によって、大いに疑似体験をすることができる。
本を精神の糧として、子供たちは成長する。
親や友人や先生が直接的に与えてやれない素敵な旅を、子供たちは本を通じて自由自在に楽しむだろう。
本こそは子供たちにとって不可欠の体験なのだ。

そして上で書いたように、その体験の質の豊富さ、あるいはそれ以前に体験の内容そのものの受容しやすさにおいて、漫画は児童書を上回っていることが多いとおもうのである。

漫画でのほうが、児童書でよりも、子供たちはより、そこに書かれている体験をしやすいだろう。
なぜならば、絵や漫画的記号の助けにより、たとえ知らない単語が多少あったとしても、子供はそこで提供されている体験を受容できる可能性が高まるからである。

もちろん、暴力的すぎる漫画や、性的すぎる漫画があるから、漫画は無分別に子供に与えるべきではない、という意見があるだろう。
それには100%同意する。
それと同時に、漫画でない書物のなかにも、そのようなものはいくらでもありますよね、と反論せざるをえない。
暴力的なものがあるとか、性的なものがある、というのは、漫画に限られた特性ではない。
インターネットへのアクセスも同様だと思う。

であるならば、なぜ子供に、漫画を与えてはならないのか。
児童書は漫画よりも、子供に与えるものとして「適切」とされるのか。
それに同意できない者は親失格なのか。

いろいろググってもみた。だが…。

僕には理解できないのである。

嵐に燃える男ども 今朝の大雨プノンペン寸描

今朝は起きたらものすごい雨でした。

スコールはもちろん毎日のように降るこの季節のプノンペンです。
しかしとりわけ激しい雨です。

これだけ激しい雨だと、逆に面白いので出かけたくなります。
マルハン銀行のビーチパラソルをさして、早速出かけました。

滝のような雨。
カンボジア大六横丁はすっかり濁流と化しています。

ズボンはあっという間に腰までびしょ濡れです。

近所のクイティウ屋も雨漏りしまくり。
中で茶しばいてる中年男どもが興奮してます。

いかにこの雨の中自分が大変な目にあってきたか!
競うように嬉々として大声で語っています。

男として嵐に燃えるのはどこにいても変わらんのだな~
とクイティウ食いながら感慨を新たにしたことでした。

# ここでアニメファンならば、当然、パトレイバーTHE MOVIE (1)の太田さんを想起せねばならない。

むしろ、嵐に燃えられないようになったら男として終わりだな!
と気持ちのベルトを締め直した朝でした。

Redmineでチケットまとめて消そうとして削除を押したらカスタムクエリ消えたでござる

RedmineのUIに翻弄されて消しちゃいけないものうっかり消しちゃったてぃひっシリーズその2

チケット一覧画面で、複数のチケットにチェックをつけたあと、それらを消そうとして、さ~ってどこかな~削除ボタンは? とおもってさがしたら、画面右上に削除があったので、押したら、いいですかみたくきかれたので、OKしたら、カスタムクエリが消えたでござる。

ただいいですかじゃなく、何をしていいですかと聞いてくれればいいのに…。

カスタムクエリは、もちろん同じ内容のものをまた作るのは簡単でしたが、URLが変わってしまうのです。前のは8番で、みんなにも8番でブクマしてもらっておいたのに、今度のは10番で、前のブクマだとURLありませんになってしまう。

馬鹿か!>俺

バースデーはサプライズでやらないと粋じゃないという風潮

サプライズバースデーがちまたにあふれすぎて、もはや、ちょっとやそっとのことでは誰も驚かなくなっているオスマン昨今。

9月25日夜、会社でバリバリ仕事をしていたら、妻から
「ちょっと話があるから家へ帰ってこれる?」
と電話が。

ひと段落つけて、オシッコしたりしてたら、
「まだ?」
と電話。

帰ってみたら、家人たちの表情が妙によそよそしく、かつワクワクしている。
奥のほうが真っ暗だったりする。

ご想像どおり、ハッピーバースデーの歌を皆が歌いながらケーキがやってきたのでした。

あの~僕の誕生日9月24日なんですけど。

当日やったのでは全然サプライズにならないので翌日というサプライズバースデーでした。

どうもありがとう。そしてできれば…
そこまでしてサプライズにしなくても、素直に当日祝ってくれ~!

そのうち、半年後の全然関係ない日とかに突然ケーキが出てきたりするようになるかもしれませんね。
皆さん心しておきましょう。