スレイリスが入社したのは2009年11月19日だが、
社長廣田に初めて会ったのは2010年3月5日だ。
スレイリスは僕の面接を経ずに採用された唯一の社員だ。
なぜなら廣田は当時ベトナムに5ヶ月カンヅメになっていたからだ。
欠員補充のため、妻が近所から見つけてきたのがスレイリスだった。
そんな所にも、この世の縁というものを感じずにはいられない。
カンボジア大六は2009年8月に社員8名で操業を開始した。
4名は日本語学科新卒のプノ大生様。
もう4名は日本語のできない近所の若者だったが、それでも大卒だった。
そんな所へ入社したスレイリスは、まだ高校生の歳の女子であった。
男女比は男6人、女2人だった。
自分はずっとこの会社の下っ端でやっていくんだろう…。
そうスレイリスが思っていたであろうことは想像に難くない。
しかしスレイリスは、会社の生産性トップに躍り出た。
品質管理責任者・生産管理責任者の任に就いた。
ある種のトレースの技能は、彼女だけが身に付けていた。
DTPの技能も、誰より早く身に付けた。
持ち前の明るさで職場のムードメーカーになった。
決めの問題をサバサバと決めていく態度で自然に職場のリーダーになった。
僕がお客さんからのお土産を社員に配る時も、スレイリスに託すのが常となった。
新たな制度を導入する時も、彼女の率直な反応を見ながらできたから安心できた。
上記の責任者への任命は、こうしたことの追認にすぎなかった。
スレイリスは、DTP生産管理責任者への任命も間近に控えていた。
増えていく後輩社員たちにも、技能をよろこんで指導した。
これらはすべて、スレイリスの資質と頑張りと人格の賜に他ならない。
スレイリスは、多くの後輩社員に対し、働き方・学び方・教え方の模範となった。
どんなに働き者でも、入った職場の先輩が怠け者なら、怠けてしまうだろう。
どんなに学ぶ意識が高い者でも、入った職場の先輩の意識が低ければ、怠けてしまうだろう。
どんなに教え好きな者でも、入った職場の先輩が教え好きでなければ、怠けてしまうだろう。
しかしこの職場には、スレイリスという模範があった。
だからこそ、後輩社員の働き者や、学ぶ意識が高い者や、教え好きな者が、それを発揮できた。
そうでない者がおのずと弾き出される空気とサイクルが出来上がった。
そうして会社は精鋭集団となった。
しかし会社の制度が悪ければ、どうだったろうか。
彼女ほどの人間であっても、いまだに一介の工員だったであろう。
大卒だとか日本語できるからという理由だけで自分より上にいる能力低い人間の下で。
その点に秘かに誇りも感じている。
原則として日本語社員や大卒社員を上に立てない。
この方針は創業当初から胸に描いていた。
制度設計もそのように行なった。
理由は、メリットがなくデメリットのみ多いことをあちこちで目にしてきたからだ。
しかし、では上に立てるに足る人間が他にいるのか。
いる、ということを最初に証明してくれたのはスレイリスだった。
彼女はぐんぐん伸びていった。
一方で、日本語社員も、大卒社員も、どんどん辞めていった。
会社が彼女のおかげで今あるというのは決して僕の中では誇張ではない。
スレイリスがせっかくここまで引き上げてくれたこの職場だ。
僕の職場と思えば、弱気になることもある。
だが、スレイリスが作った職場と認識するならば、どうだろうか。
そうならば、そう簡単に諦める権利は、僕にはないのではないか。
スレイリスが築いたこの職場をさらに発展させていく。
そうでなければ、スレイリスに対して、失礼ではないか。