2014年7月17日木曜日

ベトナム語と朝鮮語の可能表現 なぜ同じ構造なのか

朝鮮語で「~できる」という言い方を学んだとき、ベトナム語と同じ言い方するんだな~、とおもった。

  • có thể ~
  • ~(으)ㄹ 수 있다 = (eu)l su itta
いずれも、何かがある、という言い方を用いて可能を表現するのだ。

私が学んだ中国語の初歩の範囲において、可能をこのような表現であらわすことはない。

遠く離れた地に住むこの2つの民族が、なぜ同じ構造の言語を用いているのか?

よく言われるように、日本語とクメール語も、「~してみる」「~しておく」などの構造がまるで同じである。

アジアは原アジアというものがあり、そのどまんなかに中国人というミュータントが現れ、原アジアの末裔は日本・朝鮮・ベトナム・カンボジアといった周縁部にのみ残っている、という印象を私は持っている。

この朝鮮語とベトナム語の可能表現の類似は、このことを裏付ける事象のひとつのようにもおもわれる。

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