教養は、別に大学で教えてくれなくても、自分でガンガン本とかネットで読書すれば、いくらでも身につけることができます。
サークルだって、大学で入らなくても、ネット上とかでいくらでもコミュニティを見つけて参加することができます(僕の大学時代がまさにそうでした。当時はパソコン通信とJUNETでしたが。大学で入ったサークルはぜんぶフェードアウトしてしまいました)。
大卒者には総合力がある、と企業の人事担当の方はおっしゃいますが、僕はこれには真逆の意見です。少なくともカンボジアでは、大卒者より大卒でない人間のほうが総合力があります。それは、総合力の多くは社会で否応なしに学ばされるスキルだからです(今現在この瞬間にも僕がいまだに学びつつあるように)。
大学で専門性を学ぶ、といいますが、大粒で時代遅れな専門性が仕事で役立つことはありません。本当の専門性は仕事でしか得られません。なぜなら仕事をして初めて、どのような需要があるかを実地に知ることになるからです。実地の特定の需要と結びついていないスキルに誰も用などありません。
大学へ行くと、えてして奨学金という重い借金を思わず背負い、それに30代のあいだ苦しめられることができます。しかしそのようなお金に関するつらくて貴重な学びは、別に大学ヘ行かなくても、その気になればいつでも存分に得ることができます(まさに僕が(ry )。
大学とは4年間のモラトリアムであるといわれます。人生の中でもっとも有為な時を、4年間もまとめて無為のるつぼへ放り込む、大変ぜいたくな時間です。しかしこれとて、起業でもしてうまくいけば、人生の中のどのタイミングであれ、4年間遊んで暮らすことは夢ではありません(実際には、一度起業のスリルと興奮を知ってしまうと、4年どころか3ヶ月も遊ばないうちにまたつい起業してしまうらしいですが、それを我慢して4年間遊ぶことは、理論上は不可能ではないでしょう)。
結論:
大学へ行けば得られる、と皆さんがおっしゃっているもののほとんどは、大学へ行かなくても、ほかでもっと効率よく得ることができます。
人生、一生勉強です。忙しい僕らは、このめまぐるしく進歩していく世界において、そのたびに悠長に4年間、大学行ってるわけにもいきません。
であるならば、ミニ学位でいいんじゃないの? という気はすごくします。
ネットを中心とした学習によって得られるミニ学位は、リンク先記事でも述べられているように、これから、技術スキルにとどまらず、さまざまな分野のスキルにおいて、企業が真っ先に求める、就職に必須のものとなっていくのではないでしょうか。
日本語をある程度学んだひとが、さらに自分の日本語レベルを高めるために、プノンペン大学日本語学科に入るということはよくあります。
ウチの元社員でも、そういうひとがいます。
しかしプノンペン大学では、そのひとの日本語レベルがどんなに高くても、まずそのひとを一年生に放り込む由です。
それはすなわち、初学者たちと一緒に「あ」「い」「う」「え」「お」の音読からやらなければならないことを意味します。
それを聞いて僕は、なんという時間の無駄だろうと思いました。
かつ、総合大学と銘打っていますので、日本語以外の教科も受講し、それらの教科の試験に通らなければなりません。
なんという時間の無駄だろうと思いました。
こういう事情は、もちろん世界じゅうどこの総合大学においても、おそらく似たり寄ったりではないかとおもいます。
nanodegreeっていったら、4年を10^9で割って、0.126秒で身に付けられるものでなければいけませんね!
将来的にはそういうものもできてくるかもしれませんね。
そのときのためにnanodegreeという言葉は温存しておくほうがよいとおもいます。
でないと、本当にそれができたときに、femtodegreeとか呼ばないといけなくなります。
逆インフレですね。
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