しかしそれは、専業プログラマーが報われるという意味ではないとおもいます。
たとえば社長をやりながら、自分の会社のためのプログラムを書く。
たとえば農場主をやりながら、自分の農場のためのプログラムを書く。
そのように、自分の専門があって、その専門のために兼業でプログラミングをする専門家が、プログラミングをしない専門家よりも、報われやすい、という時代が来るということだとおもいます。
もちろんPHPゴリゴリとかではなく、Railsみたいなフレームワークに依拠して書くことが多いだろうとおもいます。
そういうフレームワークが整った現代は、兼業プログラマーが育ちやすい環境が整備されているとおもいます。
プログラミングが楽しいと思えないのは悪いことなのか
という記事を読みました。
これは、他人に売るプログラムを書くことを仕事とするひとの話ですね。
かつ、それだけを仕事とするひとの話だとおもいます。
こうした取材から見えてきたのは、優れたプログラマの間では「プログラミング技術一本で生きていくには、前提としてプログラミングが好きである必要がある」と固く信じられているということです。
というくだりからも、その前提が察せられます。
当たり前のことですが、仕事としてプログラミングをする目的は、顧客やユーザーに価値を提供することであって、自分が楽しむことではありません。
というくだりは、広義に解釈すれば、自分のために書いたプログラムによって業務が改善され、それによって顧客やユーザーに価値を提供するともとれます。しかし
逆に、顧客やユーザーを無視して、好みの開発環境や自身の心地よさばかりを追求するプログラマは、プロとは呼べないでしょう。
というくだりから察するに、やはり筆者の念頭にあるのは、他人のためにプログラムを書くひとだろうとおもいます。
他人のためのプログラムを書くことは、もちろんプログラミング自体を好きなひとにとっては、それでも楽しいことだろうとおもいます。
しかし所詮は、他人のための物ですので、それを楽しむことができないひとも一定数いるのは、当然のことだとおもいます。
それに対して、自分の仕事の改善のためにプログラミングを行うことは、楽しくないわけがないとおもいます。
その意味で、プログラミングが楽しくないひとにならないためには、自分の専門にいかにプログラミングを活かせるかを考えることが重要だとおもいます。
とくに経営者は、自分の会社の改善のために、みずからコードを書くことができれば、それをできない経営者よりもだんぜん有利になることは間違いありません。
他人にプログラムの仕様を伝える必要がないし、プログラミングで何ができてなにができないかをはじめから本人がわかっているからです。
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