2014年8月30日土曜日

AEONをイオンと呼ぶカンボジア人にまだ会ったことがない

カンボジア初のAEONができて間もないが、これまで会ったカンボジア人はひとしく
「エーオーン」
と呼んでいる(AEONのなかのひとを除く)。

このまま「エーオーン」が定着してしまうのだろうか。

オープンの際のチラシには、ずいぶん何度も、クメール文字で
「イーオーン」
と表記してあるのに…。

Illustrator CS3では、クメール文字のO子音化記号は上付母音記号とかぶる際には原則下付グリフ化するという法則が、油断すると正しくレンダリングされず、片っ端から直したものだ。

あの苦労は無駄であったのでしょうか…

エオンじゃないのよイオンは
ハッハァ~♪

意味もなく笑う古代大東アジア文化圏を日本人より色濃く受け継いでいるクメール人

クメール人は、顔をあわすと、意味もなく笑う。

意味なく笑うと欧米人から言われる日本人の僕が言うのもなんだが。

日本人の僕から見てすら、クメール人は意味なく笑うと感じるのだ。

欧米人から見た、クメール人の意味ない笑い度は、さぞや印象が強烈だろうとおもう。

日本人は会うとニコッと笑う。それが挨拶がわりである。

クメール人もニコッと笑うのだが、それに加えかなりの比率で
「フフッ」
という笑い声が伴う。

日本人は、あいさつでほほえみかけるときに、笑い声まで出すことは普通ないとおもうのだがいかがだろうか。

日本人といえども、笑い声を出すのは、なにかおかしみを感じたときに限られるのではないだろうか。

なので日本人ですら、クメール人に会うと
「なにがおかしいのだろう…?」
と最初感じてしまったりするのだ。

欧米人はきっともっとそれを感じるのではないだろうか。

思うに、東南アジアから東アジアにかけての一帯には、かつて古代大東アジア文化圏とでも呼ぶべきものがあったというのが僕の仮説で、クメール人と日本人の気質の相似や、クメール語と日本語の言葉の組み立て方の相似に、その名残が現れているとおもっているのだが、挨拶がわりに笑うというのも、その文化の名残のひとつではないかとおもう。

この古代文化圏のある一点に突然変異的に出現したのが中華文明で、それはどんどん拡大し、今や古代大東アジア文化圏の名残は、日本やカンボジアなどの周縁にしか残っていない、というのが僕の説だ。

中華文明のひとは、会っても笑わない。

文化の違いであり、どっちがいいとか悪いとかではない。

しかし日本とカンボジアは、微笑みの国どうし、とても仲良くやれる気が勝手にしている。

タイも微笑みの国と言われるが、最近は微笑みが少ないという噂もあるが、どうなのだろうか。たまに行くだけで、住んだことがないのでわからないが…。

韓国へ行くおじをみんなで見送りに来ました

空港見送り多すぎ(自分もですが…)

おじと言っても私よりかなり年下ですが…(妻の祖母の弟の子)

日本にいるといまどきなかなかない体験ですね。

一度行くと1~2年は絶対帰ってこれないそうです。
さぞつらかろうとおもいます。

私自身、ダナンに5ヶ月いたときも、ベトナムから出てはいけませんという契約でしたので、すごく閉所恐怖的な気分でした。

そういう縛りがなければ、平気で1年でもカンボジアいっぱなしとかいままであるんですが…

元気で!

有給強制消化させれば社員のワークライフバランス改善と定着率向上が図れるなんて考える社長はあまりに社員の気持ちをわかってなさすぎ

という記事を読みました。

多くの社員が問題を抱えるのは、日々のバランスにおいてであって、まとまったバカンス付与はそれを何も解決しないと述べています。

それよりも、働く時間や場所を柔軟にすることのほうがはるかに、社員の多様なワークライフバランス需要に応えることになり、各人の事情や志向に合った働きやすさを提供することにつながるというのが、執筆している社長の信念であり、かつ、それを実践されています。

ただし、柔軟と不規則は異なると釘もさしています。何時から何時まで出社しますと社員に決めさせたら、毎日それを守ることを義務づけることは業務上大切だと述べています。

また、業績をあげることができない社員に用はないとも示唆しています。

ちなみにウチではカンボジアの労働法にきっちり従って年次有給休暇を与えていますが、取得については義務付けも制限もしておりません。

社員によってはチョコチョコ取りまくるし、社員によってはまとめてドーンと取るし、消化しないままになるときもあります。

また、休暇取得にあたっては何日前までに申請することが望ましい、と規則のどこかに書いておいてありますが、まぁここはカンボジアですので守られるはずもなく、ほとんどみんな思い立った瞬間に休んだり早退したりします。

それを前提に会社の体制を構築することが最も現実的であり、これはリンク先の先進国とすこし事情がことなる点です。

そこへ日本人の働き蟻精神を叩き込もうとかいうのは百害あって一利なしです。カンボジア人はサービス精神旺盛ですのでその場では相手の顔を立てて従いますが、長期的にはそれを負担に感じる分、それを暗に強いる企業に勤めつづけるモチベーションは殺がれると考えねばなりません。

できれば何日前までに申請してね、というのは、たぶんウチの規則のなかで唯一、罰則のないルールだとおもうのですが、そういう罰則のないルールはモラルハザードの蟻の一穴であると知りながら入れてしまっているあたりに、働きたい日本の私がはしなくも反映されてしまっているとはいえるかもしれませんが…。

とはいえ、気が向いたときに休むこともできないのが先進国って、それってよく考えたらぜんぜん先進じゃなくね? いわゆるGDH(グロスドメスティックハピネス)的な意味で…? とおもったりもします。

三浦理恵子に学ぶ、カネを惜しむように言葉を惜しむことにより人々をぐいぐい惹きつける法





冒頭の三浦理恵子の言葉には、一文字たりとも無駄がない。



よけいな脱線もない。



充分な間がある。


正しい前置きがある。



客席の奥の奥まで声と想いを届かせる姿勢と精神がある。



「みんなー、元気ぃー?」という彼女お約束のセリフで、安心感と帰属感を与えてもいる。

ああ、このひとは俺たち私たちにわかることをベースとして話をしているのだと。

このひととはベースを共有しているのだと。

そう聞き手に感じさせる技能と工夫がある。



一見、まるで幼稚園児に向かって話しているようでもある。



だが、人々をぐいぐい引っ張ろうとおもったら、経営者であれ、教育者であれ、講演者であれ、結局はこういう話し方に行き着くものだとおもう。



ひとの前に立つと、あるいはひとの上に立つと、僕らはえてして、つい、頭の良さをひけらかしたくなってしまうものだ。

話を脱線させたり、そもそも論から入ったり、ちなみにが長くなったりする。

それは最も効果の低い話し方だとココロに刻むべきである。



人に聴かれようとおもったら、僕らはすべからく三浦理恵子たるべきなのだ。

社員の出戻りは会社の勲章

きょう、社員から、「◯◯さんが戻ってきたいと言っています。可能でしょうか」と聞かれました。

◯◯さんは、先日、大学に入ったので、仕事の時間がとれなくなり、辞めた社員です。
仕事も慣れているし、家も近いし(通勤時間徒歩3秒)、明るい笑顔で周囲を幸せにするタイプなので、惜しかったですが、学校へ通うなら仕方ありませんでした。

大学のほうとのかねあいはどうなったのかわかりませんが、戻ってきてくれるというのは、実にうれしいことです。

理由はここに書かれていることにつきます。

先日も同様に、出戻り社員を1人、迎え入れたところです。

ウチの社員は若く、ウチが最初の勤め先という社員がけっこういます。

もっといい所があるのではないかとおもって辞めてはみたけれど、世間の風に吹かれて、ウチへ戻ってくるだとか…。

学校へかよう都合でやめざるをえなかったけれど、都合がついたのでまた戻ってきたいだとか…。

そのように社員からおもってもらえるというのは、会社にとって勲章であると考えています。

社員満足なくして顧客満足なしです。