2015年6月28日日曜日

永久名誉駅長、永久社員…愛ゆえに死してなお永久にここに居てほしいという気持ちの是非

「たま駅長」社葬に3000人 「日本の地方鉄道を救った」社長が弔辞(詳報)
http://www.huffingtonpost.jp/2015/06/28/tama-ekicho-funeral_n_7680586.html
という記事に、永久名誉駅長を命ずると辞令を発したとあり、深く考えさせられました。

なぜなら私も昨年10月12日に社員が交通事故で急死した時、他の社員や家族の方々などと深い悲しみを共有する中で、カンボジア大六の「永久社員」を命ずるという辞令を発する案を内心で真剣に考慮し、その上で、発表前に自分の中で却下したという経験があったためです。

もちろん愛ゆえなのですが、果たして、死してなお会社に縛ることが、本人にとって、良いことなのでしょうか。

一夜明けて、私はそう考えたのです。

死したら現世から自由になり、次のステージへ、何の未練もなく、すべてのしがらみから解放され、飛び立っていける…。

そういう考え方もある、のではないかと思います。

遺された者たちは、愛ゆえに、いつまでもそばにいてほしいと願うのですが。

それを会社の命令として、社長が出す、というのは、ちょっと違う、と私は考えなおしたのでありました。

なぜならスレイリスはもう私から自由なのですから。

とくに私は、自分は社内少数民族日本人。多数派はカンボジア人であります。日本人とカンボジア人は当然のことながら、死生観が異なります。

もちろん、カンボジア人のなかでも、死生観はさまざまあるものと察せられます。

この件に結論はありませんが…。少なくとも私はそのように昨年判断しました。

そのことを踏まえて、この記事に接し、かく黙考した次第でありました。

0 件のコメント:

コメントを投稿