オヤジはなぜ武勇伝が多くなりウザがられるのか考えてみた。
自分がオヤジとなった今、答えは簡単なように思える。
「たいへんよくできました」
と言ってくれるひとがいなくなって久しいのだ。
子供の頃僕らにはまわりじゅうに、ほめてくれる大人がいた。
また友達からの直接的でリアルタイムな尊敬や賛辞を集めることも比較的容易であった。
「たいへんよくできました」
というスタンプは子供だましにすぎないが、そんなしょーもないもので子供は舞い上がるものなのだ。
いや、子供だけではないのだ。
オヤジとなって、だれも「たいへんよくできました」スタンプを簡単にはくれなくなった今、それをいかに恋しくおもうかは、まわりの女性たちや子供たちや部下たちには決してわからないだろう。
若い頃、キャバクラというお店がいったい何のためにあるのか、何が楽しくてそんなところへいくのか、皆目見当がつかなかった。女がほしければ置屋へ行けばいいじゃない。でも、今ならわかるのである。セックスなんかより100倍、僕らは「たいへんよくできました」がほしいのだ。たとえそれが、カネで買ったいつわりの賛辞であると知っていてすら、僕らはそれを求めてしまうのだ。
そのような不健康(精神的にも財政的にも)な手段をとらないためには、僕らは日々のしくみのなかに、みずからをほめるギミックをビルトインしていくしかないのだろう。
そのひとつとして有力なのはきっと、一日にしたことを振り返ることができるしくみなのだろうとおもい、いまToodledo等でそれを構築しようと研究しています。
俺同様、「たいへんよくできました」欠乏症にかかって心が折れてしまいそうな戦友(とも)よ、お互いそんなふうにしてみずからを奮い立たせていこうではありませんか。
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